プロフェッショナルになるには?
私は様々な企業の嘱託となってきました。我ながら振り返ってみると、かなり彩りのある経歴だな、と誇らしく思います(笑)。
しかし冗談ではなく、この嘱託人生と呼べる一見地に足がついていないような生き方が、私を一個のプロフェッショナルに育て上げました。
プロフェッショナルと定義づけるものは「気の持ち方」「技術」「金銭的な関係」であったりするかもしれません。そしてそのなり様も万別あるでしょうが、私がプロフェッショナルになった方法を一例としてご紹介します。
プロフェッショナルに求められるのは当然「技術」ですが、それにもまして必要なのは「勇気」です。
「やりたまえ」
私が様々な発明の下地となる技術を身につけることができたのは「誰もやったことがないこと」をやり続けてきたからです。
なぜ誰もやらないことをやったのか?
簡単なことです。
やらされたんです。
嘱託として歩んできた人生は、誰もやったことがないことを「寺垣ならば、まぁなんとかなるだろ」とあんまりな理由で、命じられ、奮闘して「なんとかしてきた」の繰り返しです。
詳しくは伏せますが、一例として。
『超大型の電線』作るための工場設備を、『普通の電線』作れるようする、というプロジェクトがありました。
「やりたまえ」
本当にこんな一言で任されるのです。
そして結果を出すのが私の役目でした。「やりたまえ」なんていわれたら、やるしかないのです。
なぜ、社内の人がやらないのでしょうか?
一つには技術がないのもあるかもしれませんが、そもそも私も含めて「誰もやったことがないこと」なのに「技術や経験がない」というのはおかしいですよね。
「失敗したら社内の出世競争に響くから誰もやりたがらない、だから社外の人間に任せよう」が、本音のところでしょう。これでは、社内に本当に必要な技術が蓄積されることはありません。「外注先を品定めする技術」は得られるかもしれませんが。
失敗があれば命じた人間も責任を取ることになる。私が若いころには、命じたことが失敗しようがひっくり返ろうが、ビクとも動じない「風格」をもった人間がたくさんいらっしゃいました。しかし、そんな心配も無用。
その人たちが命じたことは「失敗できない」のですから。
すごい「風格」です。
そういった人たちが少なくなったという意味では、今の若い人たちは恵まれていないかもしれません。
「勇気」
「誰もやったことがないこと」をやり続けたのは、私の嘱託という立場が原因の一つでしょう。そこで産業機器に関する技術を獲得したのです。
しかし、そこで獲得したのは単なる技術だけではありません。
「未知のことに挑戦した経験」
「未知の業務を達成することで得たおおざっぱな自信」
それはすなわち「勇気」なのです。
できるかどうかわからないことを取り組み続けることで「未知に飛び込む勇気」を手に入れることができたのです。
これは、もともと発明好き、機械好きな私がもともと持っていた部分もありますが、仕事が私に自信を与えた間違いありません。
それがなければ、プレーヤーやスピーカーの開発を始めることすらなかったでしょう。
勇気が先か、技術が先か、わかりませんが「未知に踏み出せば、獲得できるなにか」が絶対にあるのです。
「新しいことに挑戦する」
私の場合は、性質と嘱託人生が、新しいことをやり続ける状況を生み出しました。組織の中にある人では、難しいことかもしれませんが、まずは「勇気」を持つことからです。
新しいことを自分からやる。
それがプロフェッショナルになる循環を生み出す一つの方法なのです。
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2009.3.16