背景を理解する生き方
背景があることを認識する。
環境の違いはその人の人格を形成する上で重大な影響があります。今更ながら、の話ですが、私たちはそのことを忘れがちです。
環境から来る影響を再度考えることで、自分たちの得手不得手を認識することができます。
そして、その環境の違いを理解することで、他者に対して寛容になることができ、そして他者からより学ぶことができます。
このように環境、背景を意識することで視野を広げることは、必ず人生で役立つことだと思います。
環境から来る日本人の得手不得手
日本は四季の移ろいのある、美しい国です。その一過性が、体に染み付いていることで、機微を理解できる国民性です。そう考えると、桜は本当に日本人の国民性がでていますね。
日本人はそういった細やかな情感を感じとり、配慮することなので、ものづくりにおいては精巧な製品を作ることが性に合っているのです。
アメリカは広大な面積や、多民族国家からくる競争意識が国民性の背景です。そういったアメリカと、数字や、物量の大きさや、または大物量を操作することで競うことはとても難しいと思います。
私たちの国を見てください。非常に小さい国です。そういった身の丈を十分に理解したうえで、この国の経済をどうしていくか?を考えなければなりません。
私の答えは「モノであれ、サービスであれ微細な分野に戻る」ということです。
逆に不得意なことというか日本人の短所は、季節という一過性のためか「しょーもないことを繰り返す」ことかもしれません(笑)
人間とはそういうものですが、これは季節のせいにしておきましょう(笑)
夏になると秋を望み、冬になると春を望む。しょうがないのですが、私のように長年四季を繰り返していても、来年もまた同じように思ってしまうのでしょう。
世代の好き嫌いはありますが「理解」はしたいものです
「最近の若者は…」というお決まりの枕詞ですが、私はあまり好きじゃありません。同じ世代としては、言いたくなるのですが、ぐっとこらえるところです。なぜならその世代に生まれれば私もおそらくそうなっていたからです。
ある世代の特徴は、個人の責任というよりもそのときの人間の性質なのです。世代により好き嫌いはもちろん私だってあります。個人の特徴もありますが、ご存知の通り世代ごとの特徴も間違いなくあります。
しかし、考え方を変えれば嫌な世代を作り出したのは明らかに前世代の影響なのです。歴史は連続性です。要するに視点を広げれば、誰の責任かもうわからない領域もあるのです。
私のちょっと上は大正ロマンのロマンチストが多いです。そしてちょうど私の時期は国家主義、戦後からは適当に名づければ自由主義、個人主義と色々な解釈はあるでしょう。
認識して、活用する
私は「物事には個人に責任はなく、外部環境のせいである」と言いたい訳ではありません。
人間が外部環境に影響されるのは当たり前です。
しかし人間には「背景」がある。そのことを自覚し、自分の位置を確認し、更なる高みに上る道しるべにし、そして他者の背景とその人を理解することでさらに高みに上る方法を他者からも学ぶ。
そんな生き方の提案なのです。
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2009.2.9